鷲谷氏の考察より(2)埼玉の県民性は「ブサイクだけど2枚目の柳ヶ瀬」と同じ

政治を志してみようかな…と思う女性が増えればいいなと思って、聞いてほしい言葉を一方的につれづれに綴っています。

前回、埼玉ポーズ考案者・鷲谷氏の考察から
「なぜ埼玉県民がディスられても平気なのか」について
2つの論点に注目し、そのうちの一つについて感じるところを書きました。

今回は、もう一つの論点について
埼玉西部の飯能市という小さな自治体議員の視点で書いてみます。

本当は埼玉は「都合のよい」田舎

鷲谷氏は、埼玉県民がディスられても平気な要因の一つを「余裕さ」と分析しています。
これは、埼玉が実は非常に便利な地であることからくる余裕だそうです。

そう、埼玉は便利なのです。

都心に近く、通勤もできれば、テレビでやってたお店にも話題のスポットにもいつでも行ける。
今はコロナ禍で制限されますが舞台や映画、ライブやコンサートも行きたい公演はチケットさえ取れれば行ける。
舞台挨拶や収録でさえも、大好きなタレントが出演するイベントも、行き放題。
著名人の講演やセミナーもいつでも申し込める。
そして、そうした機会は、圧倒的に東京で開催され、機会損失はほぼない。

ディズニーランドにも海にも山にも温泉にもスキーにもキャンプにもゴルフにもすぐ行ける。
自然も多くて、都会の喧騒を離れて心穏やかに癒される環境は事欠かない。

生活圏でも、スーパー、コンビニ、ドラッグストアなどは乱立、大手チェーンやフランチャイズが埼玉に進出していないことはあり得ない。
ショッピングモールも多く、アウトレットも充実。

県内各所に歓楽街もあり、都市部は人口は多く賑やか。
郊外は、土地の広さを最大限活かして、駐車場完備は当然、都心では考えられないゆったりとした空間が基本で
やっぱり狭くて人が多いより、広くて開放的なのがいいよね、という日常があります。

圧倒的なインフラの強さが余裕をもたらし、東京・神奈川・千葉・群馬・茨城という近県のいいところを十分に享受しながら
その利便性を誰よりも感じており、何を言われても、戦い(仕事)終えて帰ってくるのは、毎日を暮らすには、埼玉が便利でいい。
「概ねオッケーです」というその余裕が、他県には見られない埼玉県民の郷土愛の形であり個性である。

この鷲谷氏の考察は、私が「飯能って片田舎の市議」とディスられても、絶対に本気で怒らない理由を明確にしてくれています。

飯能が損失を与えていないという圧倒的な事実

埼玉県内、地域によってそれぞれに違いはあるけれど、埼玉は首都圏であり
首都東京の隣であり
田舎といったところでたいしたことないわけです。

やってるテレビも、同じチャンネルで時差があるなんてことはない
ラジオも同じライブがオンエアされている
先述の通り、生活において使うお店も同じ。

暮らしたり、仕事をする上で、東京との差異を感じることはまずありません。

私は埼玉の西武王国と言われる西武線沿線の埼玉西部、飯能市という人口規模は小さい自治体に住んでいますが
翔んで埼玉のごとく、埼玉臭、飯能臭で東京と区別されたこともないですし
飯能という「田舎の」市議がいることで、誰かに不快な思いをさせたことはないと思います。

ましてや、所属政党日本維新の会・埼玉県総支部において
飯能であることがイメージダウンであるとか、ダサイタマ要素で他から攻撃を受けるなど

坂井さんがいるから、我々までダサイタマ差別をうける。
飯能勘弁してよ~

というような

何らかの損失を与えたということはあり得ません。

そう。
飯能は、本当の意味で田舎ではないのです。

日本維新の会・埼玉県総支部において
選択と集中で、※1横移動が著しく不便な埼玉県内の飛び地である西部地区は
ひとまずさておいて

今は県南東部に人もお金も使いたい。

そのためには、唯一飛び地の飯能を切り捨てる理由が必要だった。
でも、坂井個人に、市議会議員として、政党特別党員として瑕疵はない。

となると、人口規模の小ささであるとか、
「県庁所在地から」遠いとか
「総支部のある川口市から」遠いとか

そういうディスりポイントを見つけて、ディスるとかしか
なんとなく丸く収める理由がなかったわけです。

でも、あくまで基準を勝手に県南部に定めていじっているだけで
埼玉の本当の※2時の中間点は池袋だし
池袋なら、飯能は超快適な西武鉄道のフラッグシップトレイン「ラビュー」で40分。

リクライニングシートは柔らかいソファのようで座り心地抜群、頭を優しく包む背丈サイズに合わせて調節できる手動式稼働枕完備、
全面ガラス張りの明るい車内
広いエントランスに、オストメイト対応型多目的トイレ、女性専用トイレ、パウダールームも完備
Wi-Fiや電源コンセントももちろん基本設置

このままどこまでも乗っていたい快適さで、40分が短く感じられます。
しかも必ず座れます。

(西武鉄道HPより画像拝借)

決して、本当の田舎ではないわけです。

さらにここぞとばかりアピールしておくと
埼玉県は、日本全体の人口が減少する中にあって、人口は自治体によっては増加を続けています。

飯能も、自然減には勝てないまでも
移住者が急激に増えています。

これは、都心部からのアクセスの良さを武器に
飯能市がこれまで地道に打ち出してきた様々な移住施策が、期せずしてコロナ禍により
一気に注目を浴びた結果と言えます。

農地付き住宅への子育て世帯への補助金、サテライトオフィスへの県内唯一の補助金、それを促進するための通信環境の完全整備。
これは地方へ社内機能を分散させたい社長に紹介するとみんな驚くくらい、飯能市は早くから徹底して通信環境を整備しています。

都内に勤務しながらの移住者への補助金については、これまでいくら予算計上しても応募がゼロだったものが
昨年度は一気に希望者が殺到し、追加の補正予算を組んでいます。

それまで規制が厳しく対象が非常に制限されていた補助金について
国が、コロナ禍でのテレワークや在宅勤務を進めるために、規制緩和したことが理由です。

働き方が変わり、通勤という概念が変化したとたん
だったら飯能で、自然豊かな環境で、広くて安いところで、自由に、でも都内にいつでも通勤できる範囲で暮らしたい。

そんな人が一気に増えて
これは後付けでもなんでも結果オーライ。
先見の明があったということ。

飯能市が地道に打ち出してきた施策が、今の若い世代に必要とされ、選ばれているのです。

(飯能市HPより)

こうしたことを、本当のところ埼玉県民は理解している。

だからこそ、その余裕で
東京と比べて、田舎だといじったところで、それを受け入れる余裕がある。

私も、政党総支部の運営方針と、飯能を田舎とディスることの関係を
大人の余裕で理解しており

絶対に本気では怒らないのです。

まさに、鷲谷氏の考察の通りです。

例えるならば、我らが柳ヶ瀬裕文参議院議員に「ブサイクだけど2枚目のやながせ」と言うのと同じです。

「2枚目のやながせ」は、全国比例で出馬した柳ヶ瀬さんの名前を、2枚目の比例の投票用紙に書いてもらおうという
その2枚目なルックスと投票用紙をかけたキャッチフレーズです。

ここで「ブサイクだけど2枚目のやながせ」と言ったところで

「ゴルァ!!٩(╬ఠ༬ఠ)وブサイクってお前!自分の顔鏡で見たことあんのか?おおん?」

と本気で怒る人は、まぁいない。

予想されるおおよその返しは

「あぁ、なるほど。柳ヶ瀬さんがイケメン過ぎて2枚目って普通過ぎて、投票用紙の2枚目って意味がわからない人がいるかもですね。
それを強調してくれたんですね。ありがとうございます。」

というところでしょう。

本物の2枚目に向かってブサイクとつけたところで、好意的に理解するのが一般的な反応。
埼玉もそれと同じ「田舎」なのです。

私自身は、田舎っぽいのか都会的なのかは別として
埼玉県総支部の紅一点といわれ
女性議員がいるということの意味や印象、求められる要素をそれなりに理解して

場面に適した服装を心がけ
全身、緑にも青にもピンクにもなって
どれだけ乗り換えがあっても電車で自力で選挙応援に辿り着き
目いっぱい働いて、ずぶ濡れにも、(手の振りすぎによる)四十肩にもなってきました。

片田舎のダサい市議がいると評価を下げるような損失は決して与えていないという圧倒的な事実があると思っています。

明確な事実と信頼がなければ、やっぱりディスるのはやめた方がいい

ここまで、ディスられても平気な埼玉の全国でも類をみない県民性について
埼玉ポーズ考案者・鷲谷氏の考察をもとに

私なりに、埼玉について飯能について
ディスられても本気で怒らない理由を紹介してみました。

最後に、でも言いたいことがあります。

この「埼玉ディスり」は、東京の隣、埼玉だから形成された特異な郷土愛のスタイルであり
かなり条件が限られるものです。

これはとても特殊な例で、やっぱりディスることを笑いにするのは難しいし
人を傷つけることもあるよってことは、これとは別な話です。

Twitterで絡んでくる人がいます。

大阪の人と思しきアカウントで

「このオバハン誰や?いいのう市議?どこのド田舎やねん(笑)!日本かそれ!」

という書き込み。

飯能の人と思しきアカウントで

「坂井市議は絶対に自分の非を認めないだろう。なぜならば、哲学科卒の関西人なんてそんな奴ばかりだからだ!」

という書き込み。

前者は飯能の人にとって、大変失礼であり、大阪の人って酷いなという印象を受けると思う。
後者は、関西の人、また哲学を学んだ人・学んでいる人にとって、大変失礼であり、飯能ってどんなところよ?という印象を受けると思う。

どちらも、大阪なり飯能なり、自分の暮らす街が好きで
おそらく議員という立場にある私や維新の考え方が、自分の思う街の未来と一致しない等の理由で
否定したいという明確な意思があり

その手段として、自分の街でない土地をディスっている。

誰しも、自分の生まれ育った街、選んで今住んでいる街は大切だし、好きだと思う。
その人がやっていることややってきたこと、例えば大学時代も人生の大切な時間。そこで学んだものや過ごした時間全部。

誰かの好きや大切な思いを育んだ土地を、簡単にディスってはやっぱりよくなくて
埼玉の場合は、特殊な条件で形成されてきた文化だから成り立つもの。

埼玉維新のメンバーは長く一緒にやってきた、苦労を共にしてきた仲間だからこそ
その信頼関係で、少々いじったところで、お互いにわかっているというだけのことで

まだ信頼関係が出来ていない人に

「坂井さん、飯能で票が取れなくても仕方ないですよ、あんなド田舎で…あっすいません(笑)」とか
「飯能が千葉県と間違えられるのは仕方ないですよ、うちでも静岡県と間違えられるくらいですから飯能じゃぁ…(笑)」というのは

結構・・・

私は根に持ちますね。

冗談です。

いえ、ウソです。

この明確な事実と信頼って、ほんと難しくて
自戒を込めて気を付けたいとあらためて感じています。

例えばですが。
私が職業柄、正面から議論をぶつけることがあります。

その時、言われがちなのが

坂井さんめんどくさいなぁ
いちいちギャンギャンかみつくなよ
更年期だからイライラしてんじゃないの(笑)

この「更年期」。

もし私が、婦人科系の病気で、ホルモン治療を受けており
それゆえに、自分の身体が変わって行くのを誰よりも痛感しながら

娘や周囲にそれを隠して

生きようと必死で闘病していたとしたら
そしてある日、訃報が届いたりしたら

もう、発言を撤回することはできません。

医療技術の進歩もあって、病気を公表せず
闘病しながら仕事を続ける人もたくさんいます。

これはほんとに例えばだけど

お若いみなさんには、ぜひ意識しておいてほしいなって思うところ。

哀しいかな、40代になるとどうしても
急すぎたり早すぎたりするお別れと直面する日が増えます。
誰にも必ずと言っていいほど。

それが年齢とともに増えていくんだよね。
20代30代はどんなに尖っててもいい。
でも。

誰かに向けた言葉には、心を向けて、意識を配って、責任を持った方が絶対にいい。

後、色々あっても終わりは必ず笑顔とか。

そういう時間が重なって
人と人の信頼関係って繋がっていくんだと思う。

明確な事実と信頼。

相手のことをよく知って、積み重ねた信頼があるから培われた埼玉の県民性。
意外に奥が深いでしょ?

「ディスられても平気な埼玉」って、目指してみるとすごくすごく
コミュニケーション能力を鍛えられる

最強の県民性じゃないかと思っています。

いかがですか?
ちょっと埼玉や飯能が好きになったら、いつでもご連絡を。

さらに深い埼玉をご案内します。

坂井えつこメールフォーム
https://sakaietsuko.net/mail/

※1埼玉の横移動にまつわる鉄道については別途詳しく書きます

※2鷲谷氏の言葉。池袋についても別途詳しく書きます。