飯能まつりの初日。
雨でパレードが中止となり、出席を諦めていた埼玉維新の緊急全体会にオンライン出席出来ました。
会議に先立ち、意見を提出するよう指示がありました。
誰がどう扱うのか、内容によって不利益がないのか、そもそも議題すら知らされず、埼玉維新の会議は通常は役員のみで数行の議事録以外、平党員には情報共有もなければ、意見する場などあるはずもないので、本来なら怖くて意見できないところですが、私はすでに怖いものもなく(?)、最後だと思ってありのままを書き提出しました。
全体会議では、衆院選で上田前埼玉県知事と選挙協力した件について、誰も触れず、総括にも一切触れられていませんでした。
佐久間ケンタ朝霞市議が何も言わず、1期で議員を引退したことを踏まえれば、この件に意見する現職は選挙区の構成上、私一人です。
私が最後の一人です。
だから意見を申し上げました。誤解というか、事実を葬られないように。
どう釈明したところで、一般的な解釈として、「上田氏は吉村さん人気による維新の風を、埼玉維新は圧倒的な上田氏の知名度を」お互いに利用するという【戦略】であり、結果は、維新で擁立した上田氏の影響力ある候補は全員落選、同時に擁立していた国民民主の公認候補は3人当選。よって上田氏が国民民主に復党した、ということになります。
それでも結果として、北関東比例1議席を現・高橋代表が死守したのですから、個人的にはそれでよかったと思っています。
戦略そのものについて、私は批判したことも反対したことも一切ありません。
各候補には申し訳ない気持ちもありますが、本当によかったと思っていますし、引き続き高橋代表でいくのがベストと考えています。
ただ、9区において有権者から「なんで上田さんが維新をやってるの?」と聞かれることは、当然想定できたことです。
上田県政4期を知っている人はなんで?となるのが普通です。
それに対し、「上田さん」と発言することすらタブーとされ、「上田派とかいう発言は、党本部、つまりは一切の権限を持つ藤田幹事長への批判であり、反党行為で処分対象」として、私は「有権者になんで?と聞かれるんですが、どういう経緯ですか?」と質問したことで、厳重注意を受けました。
その後も、候補の意向として、一切の関わりや関連する発言を禁じられました。
その上で、党公認候補のお膝元の地方議員はしっかり働けという指令に、私は手足を捥がれた状態でした。
9区において、今回の選挙結果に影響できる力はなかったですが、少なくとも私は候補にとって敵ではなく、同じ旗を背負う者として、間違いなく味方であり、誰がどんなにいいことを囁いたとしても、最終最後絶対に裏切らないのは私だったと自信をもって言えます。
私は、自分の選挙区に維新という選択肢があるのに、それを裏切るような人間ではない。
候補も孤軍奮闘で気の毒に見えました。
埼玉総支部内で、維新派・上田派という分断は断固認めないとしながら、実質、分断を助長したのは、未だもって総括でさえ何ら触れることすらなく、長く地方議会で維新の旗を立て、一人で踏ん張る現職に寄せられる【目の前の有権者からの疑問の声】に回答するよりも、上田氏や意思決定権を持つ石井章顧問の意向に配慮し続けるという総支部の決定ではなかったのか。
維新の旗を背負う地方議員に対して、目の前の有権者に「党本部のことだから何も知らない、答えられない」と言い続けろという埼玉総支部の指示は、本当にそれでよかったのか。
上田氏が関係ない自治体の役員で決めているけれど、もし自分の自治体だったら日々応援してくれてる支援者の目を見て、知らないと言い続けることができたのかどうか。
こんな意見をしましたので、これが私の最後になるかも知れませんが、最後の最後まで維新として瑕疵なく、政策にブレもなく、不祥事も起こさず仲間を裏切ることなどない自分の信念を貫きたいと思います。
今日の飯能祭りでご挨拶に回った先々で、特に近隣の議会関係者から「上田さん国民民主行っちゃったね!」と笑いながら、ことごとく言われたこが、私は本気で悔しい人間です。
お互いに不幸な選挙協力なんて、いったい誰得だったんだろうと悔しいです。