政党活動より雑感

日本維新の会 埼玉県総支部
埼玉維新caravan再始動

新型コロナウィルス感染症の影響で自粛していた活動を再開しました。
毎月最終水曜日、17時30分より街頭演説を行います。

大宮駅→朝霞台駅→新越谷駅を順番に回ります。

【感謝できる人がいっぱいいて下さることは人としての幸せがいっぱいってことだと思う】

私が維新に入った時は「埼玉に維新がいるの?!議員がいるの??」しか言われなかった。何年何月何時何分地球が何周した時ですか~って言う小学生かってくらい、デフォルトで言われた(笑)
当時は埼玉4区の30代男子校。私の当選…かもしくは、私の直前に落選した人を契機に、選挙応援も活動体制も、組織としていい意味で変貌していき、今は飯能と反対側の地域に軸足を移して活動している。

重点区を絞り、支部長のいるエリアに選択と集中をするよう私が一番うるさく提案して、飯能は飛び地でいいと断言してきた。そして実際、どこに行くにも往復4時間、選挙中は4時40分に起きて5時40分に家を出て、6時3分に電車乗って、8時20時活動して23時に帰宅すること3年半。活動すればするほど、娘を犠牲にして、地元をおろそかにせざるを得なくて、悩み続けたことは、周囲をとても心配させてしまったと思う。

でも、一人で議会で戦える力をつけたかったし、ブレずに議会活動も地域活動もしたかったし、選挙の恩は選挙で返したい。結果的に議員になっても絶対に辞めないと約束して出馬したはずの事業を譲渡してしまったことは、経営者としては正しい判断だったけど、恐ろしい喪失感と共に、生活の軌道修正を迫られることになり、辛かったのも事実。

それでもがんばってこれたのは、議員辞職勧告を出されても、地元新聞記者にひどく書かれても、いつ傍聴に行っても動議や議事進行ばっかりかけられていても、そして選挙のたびに地元にいなくても、「えっちゃんは真面目に飯能のためにがんばってる」と応援し続けてくれた地元支援者の皆さんがいて下さったからです。

あっちもこっちもがんばりすぎる人生がいいかどうかは、終わってみないとわからない。でも、あっちもこっちも感謝して、この人のためにがんばりたいって思える人がいて下さることは、人間としてとてもありがたいことだし、それが幸せの量なような気もしています。