全ては私の力不足です。

前回、日本維新の会公認で初当選した際は
最下位だったことは

この4年間、折に触れ、あらゆる場面で言われてきました。

それでも、私を支え、応援し続けて下さった
えつこ応援隊のみなさんと共に、次はもうちょっと上で、と明確に目標を掲げて
地道に、議会活動、地域活動、政党活動に取り組んできたつもりでした。

しかしながら、ご期待いただいたように票は伸びず
今回も、皆さんにご心配をおかけする展開となり

当選はさせていただきましたが

翌日より、おめでとうより遥かに多い、お叱りを受けることとなりました。

様々、要因を分析いただいていますが
私の力不足に他なりません。

もうちょっと取らないとダメだろう
結局、ヒヤヒヤで危ないようじゃぁ話にならない
何やってるんだ、出直せ

私を応援して下さったからこその叱咤激励は、謙虚に真摯に受け止めております。

ご期待におこたえできず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

後援会長がしっかりやらなかったからだ
あいつが本気でやらなかったからだ

等の、支えて下さった方々へまでも
非難の矛先が向いてしまったことは、本当に情けない限りで、力不足を痛感しております。

本当に申し訳ありませんでした。

これは、本当に私の至らなさです。

ここまで厳しいお声がでるのは、それだけ皆さんに、(もしかすると私自身にも)
それなりに票がでるのではないかという手ごたえが、活動を通じて感じられたからだと思います。

これは、驕りではなく
実際に、活動しながらたくさんの応援をいただきました。

でもそれは、地元加治地区限定の現象であり
広い飯能の他地域に行けば
私はほぼ知名度もなく、支援者もいませんでした。

選挙というのは、ある程度は票読みができるもので
特に地方市議選の1000票~2000票を争う場合は、告示日までに予測がたちます。

今回いただいた1217票は、この4年間の私の活動を知っていてくださったり
駅や地域活動で私を見かけていたり
私の発信する市政報告を目にしたことがある
またはSNSやHPを通じて、何らかの関心を寄せて下さった

顔の見える・感じられる、身近な1217票であるのだと思います。

4年間、政務活動費は全て、市政について知っていただく広報費に使わせていただく事をお約束し
年間18万円のうち
年2回~3回、市政報告を印刷。
1円でも安く、日数をかけて、ネット印刷で自分で制作し

毎回6000枚を印刷してきました。

そのうち、4000枚をポスティング業者さんに依頼して配付いただき
2000枚は自分で、ポスティングと手配りでお届けしました。

それで、年間18万の政務活動費は使い切りますので
自腹で、4000枚程度の市政報告を印刷することもあれば
市政報告会を開催して、いらした方にお配りする資料は自宅プリンタで印刷製本することもありました。

いづれにしても、私なりに、力を入れてやってきた市政報告も
数としては飯能市全域をカバーするには遠く及ばず

超重点エリアは毎回必ず、
プラス、重点エリアを1~2か所のお届けが限界でしたので

結果的に、こうした活動の結果としての正しい数字が、票に現れたと分析できます。

もっとお金をかけたり
看板を出したり
他地域の活動に参加するなど

出来ることがあったのは事実ですが

1人で、4年間自分に課してきた活動を地道に続けたことで
いただいた評価が今回の得票であり

それが、みなさんのご期待値に及ばなかったことは
全て私の力不足です。

 

また、私が公党・日本維新の会の旗を背負っていることで
応援が難しいと言われたり

日本維新の会を出さずに、市議に政党は関係ない、市民党だとして紹介するなら
応援いただける組織や団体がある等のお話しにも

私は日本維新の会公認であり、それを隠すことは致しませんと
妥協しない姿勢であったことで

得られなかった票があるのは確かです。

それでも、私自身

党員でありながら、保守 無所属 とすることにも
野党第一党の応援を受けながら、無所属 とすることにも

特定の組織団体からの支援を受けることにも

一切、共感するところはなく

迷いなく、公党公認で維新の旗を背負ってきましたので
それで票の上乗せがなくても、当然それが正しいと思っています。

そのことで、私の支援者の皆さまから批判を受けたことはなく

「維新は応援しない(むしろ大嫌いだ)けれど、坂井えつこを応援する」

といって下さる方も、決して少なくなく
そういう意味でいただいた1217票は重く、少数意見をしっかりと受け止め、議会にあげていく、ブレることなく、是々非々で議論をしていく議員であろうと気持ちを引き締めています

 

日本維新の会の基礎票がどのくらいあったかは、私なりには予測していますが
これは私から申し上げることはできません。

前回4年前、当事者としての体感で「飯能市内における維新支持率」について発言したところ
当時の埼玉県総支部幹部から受けた言葉があるのですが、それは、生涯胸に秘めると決めています。

4年間、埼玉維新の会において、飯能は活動エリア外であり
一度も飯能で政党活動が行われたことはありませんでした。

所属政党の総支部から、この4年間
一切の活動の支援が受けられなかったことは

これもまた、私の力不足であり
本当に政党や総支部にとって必要で有能な議員であれば、それなりのお力添えをいただけたものと考えます。

飛び地の飯能で、議会活動最優先、地元活動優先、シングルマザーとして母親業も優先。
一所属党員として、政党総支部のお役にたてることのほとんどなかった議員の私ですが

それでも、埼玉メンバーが、私を仲間として認め、助けてくれなかったら
この選挙は、とてもとても戦えませんでした。

仲間として、個人として、大応援団ではるばる駆けつけてくれた埼玉維新と東京維新のメンバーには感謝しかありません。

これまで一切、日本維新の会の政党活動が行われなかった飯能で
いきなり、多くの維新議員による活発な活動が展開されたことは

批判的なご意見も、多数、私のところに来ていたことは事実です。
中には罵倒するような内容もあれば、

「飯能に維新はなじまない」
「彼らの政党活動が坂井さんの票を減らしている」

といった、私へのアドバイスまでありました。

しかしながら、えつこ応援隊のみなさんや、実際に彼らの活動ぶりを見て下さった方からは
批判的なご意見は一切なく

「若くて勢いがあって、みんな力強くていいなぁ」

と、その実践で鍛えられたメンバー個々人の戦闘力の高さをお褒めいただくことがほとんどでした。

これは、何度もあちこちで書いていることですが
私が日本維新の会の旗を降ろす時は、私は議員を辞めるときです。

政党を変えたり、隠したりすることは、これからもありません。

もちろん、だからといって、ずっと一人会派で、一人で議会活動を続けることに限界はあり
数の世界で、非力すぎるとご批判もあるところです。

こうした私の置かれた全ての状況は、私の力不足に他ならず
2期目を前に、皆さまからいただいたお叱りの声を決して忘れることなく

これからの自分を見つめ、自分と闘っていきたいと思います。

こんな力のない私を支えて下さる全ての皆さまに感謝申し上げるとともに
議員としての活動でお返しができるよう、力を尽くしてまいります。

 

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