「セクハラされた!」も「セクハラされてないよ?」も抹殺されるって何よ。

政治を志す女性が増えればいいなと思って、書いているこのブログ。
仲間の女性のことを書きます。

友人として仲間として、あくまでプライベートな時間を使って
応援に入っていた参議院選挙東京選挙区。

東京維新と埼玉維新はこれまで
大変密接な関係にあり、選挙応援も積極的に双方が人間関係で入っていましたが

今回は大人の諸事情により
応援に入ること、特にSNSにあげることが所属の埼玉総支部から
厳重注意の対象とされていました。

埼玉県民の生活圏が、大部分都内へ向いており
神奈川維新と東京維新で実施されたような
例えば、池袋や赤羽での活動を埼玉維新と東京維新でコラボした方が
絶対に双方にとって効果が見込めると意見してきた私にとって

選挙中は、人間関係による応援もSNS発信さえも釘を刺されたことは
個人的には残念としか言いようがなく

たとえ個人的見解であっても、選挙が終わった後には
一切の発信をしないつもりでした。

でも。

候補者陣営にボランティアとして潜入して書かれた記事が発売され
それに対して、本人がブログに記事をあげていましたので

どちらも読んでみました。

これはちょっと、どうしても言いたい。

まず、記事について海老沢由紀本人がブログに書いています。

セクハラ騒ぎについて

ネット上の情報をもとに憶測で書かれた記事がいくつも出される中、猛暑の中で実際にお手伝いいただき、ご自身が汗をかかれ、事実に基づいた記事を出されたことは、批判記事ですが、ご苦労様でしたと言わせて頂きます。

本人のこの言葉を読んで
私は、記事を購入しました。

潜入取材のプロ
猛暑の中毎日ビラ配りして見えた「躍進の裏側」とは?

という見出しからも
きっと汗をかき実際にボランティアをして書いた記事は
現場でしか見えない事実があるわけですし

それがどういった切り口で、筆者の視点から記事になってるのか
本人も「ご苦労様でした」というくらい
あまたの批判記事とはちょっと違う骨のある記事かと期待したからです。

潜入取材のプロとして
何を垣間見たと結論付けたかったのか

私の感想。

この書き手さんの他の記事や著書を
今後、私は読むことはありません。

敗因について

海老沢由紀が知名度がない
松井・吉村も東京では知名度も集客力もない

維新の政策についての批判

セクハラをスルーして他候補や組織を庇おうとした

等、

潜入取材のプロでなくても
ネットにあまた溢れる記事とだいたい同じことが

筆者の分析ではなく

・あちこちの大学教授
・全国紙記者

等の言葉として紹介されてるだけでした。

この人は、潜入取材のプロとして
何を垣間見たと結論付けたかったのでしょうか。

あまたの大学教授や大手新聞記者の言葉を
紹介したかっただけなのでしょうか。

セクハラについては、発売された記事に対し
海老沢由紀本人がブログで説明したのに対し

海老沢由紀が予測した通り
しつこく「反論した」「的外れだ」と記事にしています。

的外れな反論だ。
選挙の街頭演説という公の場で、男性候補が女性候補の胸を触ったように見えること自体が問題なのだ。
このセクハラ問題をスルーして、他候補や組織を庇おうとした姿勢が、
維新の引きずる男性優位主義的な体質を露呈していることが問題なのだ。

この人は、いとも簡単に「セクハラ」という言葉を使い
セクハラ問題を騒ぎ立てないことが、維新の体質を露呈しているというが

本気で「セクハラ」について考えたことがあるのだろうか。

潜入取材のプロとして
男性優位主義的な組織や業界で戦う女性たちを取材したことがあるのだろうか。

言葉の暴力ですらある

長い歴史の中で、男社会であるという現実において

圧倒的に多くの女性が、それでも社会や組織で働き

セクハラだと感じること
嫌悪感を抱くこと
何でもかんでも声に出せないこと
泣き寝入りも、自分が我慢すればいいと思ったこともあること
自分を守る為、見えない鎧をまとって仕事にいくこと
宴席、飲み会、酒の入る場での対応に悩んだり苦しんだこと
そもそもそうした言動を遠ざけるために自分を鞭打って進化させるしかなかったこと
セクハラは性被害と紙一重だという危機感

etc.

あげれば無限の女性たちの声なき声を
「セクハラ」という言葉を使う時に感じたことがあるとは到底考えられない記事だ。

人生をかけ、命がけで戦う女性候補に対し
セクハラだセクハラだ、ちゃんと訴えろ、スルーするのか
胸触られたように見えんだろ!

と書き立てるのは、それこそセクハラであり
セクハラで傷付き、苦しみ、人生をも変えられるような経験を持つ多くの女性たちに対する
言葉の暴力ですらある。

セクハラは、パワハラと同じく
訴えようにも、証明するのが難しい。

訴えることで、相手方に社会的なダメージを与えることが
目的などではない。

なぜ、この声はここまでかき消され、抹殺されなければならないのか

セクハラは性被害と紙一重でさえあり
自分が我慢することで
後に続く若い世代にその苦しみを先送ってしまうことになるし
女の子の母親であれば、娘たちにだけはこんな思いをさせてはいけないと思う。

声をあげることで、必ずといっていいほど
誹謗中傷や偏見も押し寄せる。

でも、だからこそ立ち上がっても、証明は困難。

我々は、「セクハラ」という言葉をそれほど軽くは使っていない。

セクハラです!という時も
セクハラは受けていません!という時も。

なぜ、その声はここまでかき消され、抹殺されなければならないのか。

こんなにも簡単に、本人が「セクハラではありません」と言っている言葉を
否定し、打消し、抹殺しようとする。

いいや、それはセクハラだ、だから選挙に負けたんだなんて
本気で社会で性的な被害を受けた人間の声を取材していたら
とても言えないと思うし

公に言葉を発する職業ならば尚のこと。

プロとしていかがかという感想しか私にはありません。

蛇足ながら、もう少し感想を書くとすれば。

確かに、現場でなければわからない
潜入取材ならではのリアルなレポートもあります。

ボランティアの活動であるビラ配り。
立ち仕事なので足腰に負担がかかるが、それ以上に精神的ダメージが大きい。
というのも、このビラ、めったに受け取ってもらえないのである。
平日の昼間に100人に声をかけて、受け取ってもらえるのは1人か2人くらい。
声をかけた人の半数は完全に無視。
3割はビラを避けながら歩く。
2割は結構ですとなり、邪魔だ等の罵声や怒声が交じる。
これだけ疎んじられると、やる気を維持するのが難しい。

きっとビラ配りを、惰性ではなく
かなり一生懸命、魂込めてされたんだろうなと感じます。

100人に1人か2人。
とてもリアルな肌感覚です。

海老沢の街頭演説は、認められている8時から20時まで続く。
午前中に4.5か所、午後も同じ数を回り、週末も休みはない。
私は選挙期間中、東京選挙区の他の候補者の活動もチェックしていたが、
海老沢ほど街頭演説をする候補者を見つけることは出来なかった。
まさに「どぶ板選挙」だ。
海老沢は、テレビ取材が入った日の午前中を除き、1日12時間のスケジュールで東京中を飛び回った。

海老沢が1日で回る演説場所を全部ついて回るのは難しい。
1日12時間で10か所を回り、その間にビラを配るのではとても体力が持たない。
私は1日のうち、3,4か所を選んで参加した。

選挙中は6月だというのに、記録的な猛暑。
直射日光を受けての演説やビラ配りは40℃を超える環境でした。

私は埼玉選挙区にいましたが、本当に身の危険を感じました。

そんな過酷な現場で、これだけのスケジュールをこなし
人生をかけ、全身全霊で戦う海老沢由紀を間近に見続けて

何も感じないわけはなかったと思う。

海老沢由紀本人部隊がいくら車移動とはいえ
それに全て張り付きで12時間以上、一瞬たりとも気を抜かず
共に戦うスタッフやボランティアさんたちに心揺さぶられたことはなかったか。

とても体力が持たない、通常は誰もがそう思う。
そんな凄まじい戦いを、まさに命がけで戦う姿に、何も垣間見るものはなかったか。

どこぞの大学教授らの言葉にまとめて、本当にこれが渾身のレポートだったのか。

たとえ批判記事でも全く問題ない。
私は、現場で共に戦うことができなかったから
潜入取材したプロの魂揺さぶる言葉が読みたかった。

そういう感想です。