応援してくれる人がいるということ

先日、後援会長とご挨拶回りすることがありました。
訪問先で、先の市議選でお世話になった方々にもお会いでき

「私の後援会長です」

とご紹介すると

「坂井さん、後援会作ったの?!よかったね!次はがんばらないとな!」

と言われまして、あーそうか、私はそんな風に見えるよなーとあらためてしみじみと。

よそから来た人で組織もなくいつまでたっても下位当選

私は現在、完全無所属です。
いかなる政党、組織、団体からも支援を受けていません。

政党に所属していた時も、県支部があるとはいえ
国会議員もいなければ、所属議員も数人。

組織も支援もなく

その後、多少は政党の勢いが出ても
埼玉県においては、県南東部だけで県支部の活動が行われており

飛び地の飯能は古参の私が現職でいたところで
カウントされていない状態。

離党して無所属の今も、特に変化はありません。

そして飯能には、移住して20年住んで、会社作って、空き店舗を繁盛店にして11年運営して、子育てして、自分の親も移住して同居して、家を買って、軽自動車に乗って、各種税金を納めても、選挙においては「落下傘」です。

親戚の一人、同級生の一人いないですからね。そう言われても仕方ない。

加えて、政治的バックもなく、本当に一人で駅に立って、市政報告ポスティングして、地域を回って、選挙も事務所すら借りずに一人でやってるのですから

「後援会長いるんだ?!」

とビックリされるのもよくわかります。

組織はなくても応援してくれる人がいる

ビックリされるのは、ほんとよくわかります。

でも。

組織はなくても、応援してくれる人がいなかったら
3回も当選させていただくことは到底できないんですよね。

地の人間でなく、よその人で、組織もバックもなく、いつまでたっても下位当選、泡沫に見える私も、実はたくさんの方に支えていただき、応援していただき、みなさんのおかげでこうして今日も議員活動をさせていただいています。

思えば、飯能に来て会社を立ち上げ、店舗を開業した時も
たくさんの方に応援していただき
スタッフも愛すべき人たちばかりで
お客さんもアクティブな素敵な人たちばかりで

ほんとに私の好きな「人・こと・もの」だけが集まってぎゅっと詰まった
儲からないけど(?)幸せな場所で仕事をさせていただきました。

妊娠出産の際も、多くの先輩方に教えていただき、助けていただきました。
娘は飯能で、たくさんの方に育てていただきました。

そして、選挙も3回も当選させていただいている。

本当に、私は何にもできないし、
一人では何もできなかったことを、助けて支えて応援していただいてやって来れました。

 

何にもできない私ですが、作りたいロールモデルはある

選挙では、いつもいつも
「次はもっと上で当選できるように」
と、下位当選で応援してくれる人たちをガッカリさせてしまって

おめでとう、次は…
次は…

と、お祝いより叱咤のお言葉が、選挙という特殊な戦いで疲労困憊・疲弊した心身に重く響いて
負託におこたえしなくてはと、どんどん自分が苦しくなっていました。

「え?後援会長なんていたの?」

という何気ない一言から、色んなことを思い出すことができました。

飯能に来てからの私は、本当に感謝の気持ちで溢れる日々でした。

議員になってからは、応援してくれる人がいるのと同じボリュームで
嫌われたりいじめられたり叩かれたり批判されたり揚げ足取られたり、本当に政治の世界はイヤなものではあるけれど

同じボリュームで応援されてるから今日もこうして活動できている。

3期目は10年選手。
そろそろ自分を追い込まずに、本来の自分に戻って
感謝の気持ちで溢れる議員活動のロールモデルを作っていきたい、

そんなことを考えました。

次世代のために、変えたいこと。
次世代のために、示したいロールモデル。

そんな思いがあるから、地方議員になったのだし
自分にできること、自分にしかできないことが飯能市議会にはあると思うので

やってみたいと思います。