川寺自主防災会・視察研修【立川防災館】

7月15日快晴。
地元・川寺自主防災会の視察研修があり、参加させていただきました。

 

朝7時30分に仁科観光駐車場集合。
予定では、立川都民防災教育センター(立川防災館)と
東京消防庁第八本部消防救助機動部隊を見学させていただきます。

川寺自主防災会には、消防のOBもいらして
日頃は見学できないところも見せていただけるとのこと
大変楽しみに参加させていただきました。

バスの中では、参加者全員の自己紹介があり
私も、マイクを回していただいたのですが

実家の神戸で被災経験があり、そのことを話してほしいと
事前にご連絡をいただいており
少しお話させていただきました。

1995年の1月17日。
阪神淡路大震災があるまで、「関西では地震はない」と言われ
「防災意識」という感覚そのものがありませんでした。

もちろん、備えはゼロ。
知識も対策もゼロ。

未明に真っ暗闇に放り出され
寒さと恐怖で大変な混乱でした。

うちはモデル的なケースで
木造2階建ての自宅が全壊。
1階部分に2階部分が落ちて、1階にいた祖母が亡くなりました。

多くのご年配層が1階に寝ておられることから
亡くなった方の年齢が高めだったとも言われています。

父親は定年を前に、2重ローン。
「地震特約」という保険の存在をこの震災で知った人も多かったのです。

ライフラインが寸断されて、全国から支援が届いても
ボランティアや救援物資の受け入れ・分配についても体制がなく
ノウハウも経験もない、みんなが被災者。

混乱を極めました。

義援金も、死亡に対する震災認定が追い付かず
手続きできないままの人や
全壊家屋で1世帯10万円。

生活再建がままならない市民が大勢いる中
神戸市では「復興記念事業」という行政の大掛かりな事業がスタート。
事業のすべてではありませんが、市民感覚とはかけ離れた内容も多数ありました。

その後、大きな災害が起きた際に、神戸の教訓がいかされたり、
人々の防災意識も間違いなく変化があって
それは、せめてもよかったと感じています。

近年では、常にどこかで大規模な自然災害が起こっていて
いつどこで被災するか、誰もが自分事として備えが必要な時代になりました。

自主防災会に参加させていただいても、皆さんの防災意識は高く
22年前とは雲泥の差を感じます。

飯能においては、ありがたいことに非常に災害の少ない地域で
それだけに

飯能は地盤が固い
川寺は水もでない

といった、恵まれているゆえの安心感があるのは事実だと思います。

実際、私が飯能を選んで移り住んできた理由の一つに
その地盤の固さ、災害の少なさがあります。

ただそれは、同時に、災害時・非日常の緊急時に弱いということも否めません。

 

(2014年2月7日撮影)

2014年2月に、大雪が降る…と、各メディアが気象情報で警戒を呼びかけた
その日の夜7時。

緑町ベルクからは、あらゆる商品が消えていました。

東日本大震災で、被災地に必要なものの買い占め騒動がありましたが
やはり、災害の少ない地域は、人々の経験値も当然少なく
非常時に弱いと考える必要があると私は思っています。

そんな話をさせていただきましたが
参加者のみなさまには、ご実家が被災されておられたり
消防団で様々な現場のご経験があるなど

様々なご体験談をうかがうことができ
バスの中でも非常に有意義な時間を共有させていただくことができました。

バス一行は、立川防災館に到着。

子どもたちが、楽しみながら防災体験を出来たり
大人も訓練体験が出来るなど
災害時に役立つ行動を身に付けることができる学習施設です。 

我々は、防災訓練と応急救護訓練に参加させていただきました。

消火器も、誰でも使えるようになっているとはいえ
一度使ったことがあるとないでは大違いです。

実は私もお恥ずかしながら、消火器訓練は初体験。

やはり最初少し緊張しました。

応急救護訓練の心臓マッサージやAEDについては
運営するフィットネススタジオで毎年受講していて
スタッフ全員とお客さま有志で、8年程続けているので
さすがに身についてきた感覚はありますが

それでも、未だ実際に人が倒れた現場に遭遇したことはありません。

いざという時のために、継続した受講が必要です。

地震体験では、揺れが来てもあわてない
心構えと行動を教わりました。

25年の間に、これだけの災害が起こり
地球規模での環境変化を誰もが感じている今。

防災意識を共有し、ともに学び備えることは
まちづくりの最重要事項ですね。

立川防災館での体験を終了しまとめを終えて
昼食後は第八方面消防救助機動部隊へ。

レポートは次回へ続きます。