政治を志してみようかな…と思う女性が増えればいいなと思って、聞いてほしい言葉を一方的につれづれに綴っています。
極力。プライベートな事は話したり書いたりしないようにしてて。
私の支援者さんは、例えばひとり親支援について発言する際にも、私自身がシングルマザーだとか言うのはいかがか、とか
子育て関係の施策で、親目線や感情を決して出さずに論じよ!などなど、叱咤激励下さる方も多いので。
日頃はまずしない話を、ほぼ趣味で書いているこのブログではしてみようと思います。
バレンタインデーが近いので男性の話。
お見合いした話。
独身あるあるとして、バツイチだろうと子持ちだろうと48歳だろうと
お見合いの話は、唐突にやってくるもの。
時に、絶対「断れない」立場のお方から。
坂井悦子48歳の夏。
春に改選があり、コロナ禍に突入した年であったことから、世界中が「超自粛」モードの中で
活動もままならなかった時期。
地域活動も行事も公務もなくなり、市民からの悲痛な相談を受けながら
地方議員って何だろうと考えさせられた時間。
明治5年の学制発布以来の休校。
ステイホーム。おうちで過ごそう。
社会との接点を渇望していた私は、改選前でありながら、何か出来ること
誰かの役に立つことがしたくて
会社で新規の仕事を請け負い、うまく回り始める前に改選出馬を前提とした活動に突入。
再選させていただくも、選挙イヤーで大きな選挙が続きまくり。
新しい仕事が今一つ、結果を伴っておらず
責任を感じて、請け負った仕事から契約の終了を申し出ました。
選挙結果も酷いものだったし、仕事は結果を出せないし。
何より、大切な人たちの期待にこたえられなくて、誰の役にも立てなかった。
すっかり自信を失っていたところに
断れないお見合いの話まで来てしまい
はい。わかりましたーと、無抵抗にお会いしたのが夏前のこと。
お相手は、埼玉生まれ埼玉育ち生粋の埼玉県人、県南の方。
経営者、特にちょっと上世代の社長は仲良くしていただいてる方がたくさんいるので
なんとなく、お友達の社長とお会いするイメージで行ったんですけど
決定的な違いがありました。
ベンチャーではなく、代々続く後継社長。
ゼロベースから稼いだぜ!ではなく、取引先の親戚率、高。
親戚の、老舗企業役員や政治家率、高。
タワーマンションではなく、敷地内に家が複数あって蔵もあって、庭師が手入れした庭があって、お稲荷さんとかあって、畑も駐車場も一帯な地主系。
で。
結論を先に書いておきますと、当然、お家柄的にお商売的に明らかなことがあるわけです。
埼玉県の旧家であれば。
「維新の議員なんでしょ?」
「はい、そうです」
「うち、自民党だけど?」
「ですよね」
「だよね」
と、阿吽の呼吸で、お互いに察する、とてもシンプルな結果にて終了。
書きたいのはそこではなく、埼玉を話題とした会話の展開があったのです。
埼玉県民の共通の話題「県庁の位置」
お見合いは、最初の1分で終了しましたが
大人ですから、普通に会話をする。
そこで、埼玉の話が盛り上がるという展開が待っていました。
私が埼玉県に来たのは、たまたま埼玉、ケーブルテレビにキャスターとして正社員で採用されたから。
埼玉県内のケーブルテレビ連盟、通称「埼C連」というものがあり
県内各地の祭り中継などでは
各局から生中継の応援に入っていました。
維新が、選挙があれば、全国の総支部の仲間が
応援に駆け付けるのと、似たようなシステムです。
(コロナ禍で自粛が求められることもありますが)
県内の大きなお祭りの生中継は人が必要で
技術も必要なので、埼C連から応援に入る。
秩父夜祭、本庄祭り、飯能祭り、熊谷うちわ祭りと、私も応援に入らせていただきました。
もちろん多くが泊まり込みで。
これがめちゃめちゃ楽しいわけです。
お祭りですよ、お祭り中継。
当然、祭りの後には打ち上げもあるし
すごく仲良くなれる。
それが、地元の話題を発信している集団ですから
各地の行事や伝統、歴史、行政関係まで
みんなとても詳しいわけです。
まだ埼玉に来たばかりだった私は
彼らから、県内の情報を
浴びるように吸収して、あっという間に土地勘が出来たように思います。
ゆえに、県南に住んだことはないけれど
蘊蓄は知っている部分もあり
地主系、地元優良企業系の後継社長もまた
やたら県内事情に詳しいという特徴がある。
それで、埼玉県民の共通の話題である「県庁位置の争い」に話題を向けてみると
初対面から5分後に埼玉の話が展開されていきました。
この県庁位置問題。
大宮と浦和の積年の争い。
詳しければ詳しいほど、蘊蓄や歴史的背景の諸説がでてくる鉄板ネタです。
詳細は、埼玉維新の現職が県南にいるので
彼らにお任せしたいと思いますが
ざっくり紹介すると、以下のようなものです。
浦和と大宮
そもそも、大宮と浦和の合併は、珍しい形の大合併です。
通常の市町村合併では、中心となる市に周辺市町村がまとまることが多いのですが
大宮と浦和はどちらも大都市。
人口規模は同格。
まちの役割では、浦和は県政の中心であり、全国有数の文教都市。
大宮は鉄道のまちであり、交通の中心。県内最大の商業都市。
どちらもが、県内における政治、商業、教育、交通等の中心を担う重要都市であり
両者には、県庁誘致をめぐる数々の紛糾がありました。
特に埼玉は、明治維新の後
廃藩置県の発令から5年間も、現在の埼玉県域が定まるまで統廃合に紆余曲折があり
地域的な対立が繰り返されたという歴史があります。
これは、日本の中枢・東京府の領域をまずは明治4年廃藩置県で最初に定め、
そこから、周辺地域を振り分けたことに起因しており
東京の都合で振り回され、分離分断を繰り返して制定されたこと。
さらに、大宮と浦和には廃藩置県より前、
明治維新、倒幕の後に現在の大宮・浦和周辺が「大宮県」として編成されたことがあり、
当時の大宮が、中山道の宿場町「大宮宿」として氷川神社の門前町として栄えていたことなどから
県庁が浦和に置かれることになった背景には、これ実に、様々な遺恨の歴史が諸説あるところです。
県庁位置以外に
市役所についても、大宮と浦和は争奪戦を繰り広げています。
こうした歴史の蘊蓄を共有してこそ
一番栄えている大宮、新幹線のとまる大宮、鉄道の中心大宮と
県庁があって浦和レッズの本拠地でもある浦和とのせめぎ合いが、共通の話題として成り立つのです。
お、ちゃんと知ってるな。
という相互認識のもとであれば、埼玉県民共通の話題として
お天気の話題より盛り上がる会話です。
そして岩槻
この県庁位置問題を話題にすると、セットで出てくるのが
「最初は埼玉県の県庁は岩槻になる予定だった」
という会話です。
岩槻は、人形のまちや伝統工芸のまちとして息づいており
江戸時代には埼玉における中心的な町として栄え
今も非常に交通至便、今後もさらに利便性の向上が見込まれる町です。
だからこそ、当初は県庁所在地とされていましたが
庁舎が確保できないとして、自ら浦和に譲ったとか。
2005年には政令指定都市さいたま市と合併しています。
もし岩槻が県庁所在地であったら、こればかりは間違いなく
町の未来が大きく変わっていたことでしょう。
これまた、埼玉県民共通の話題の一つで
いかに岩槻が判断ミスをしたかとか
政治的な思惑があったとか
実は旧岩槻藩士を恐れた県令が岩槻赴任を避けたとか
蘊蓄ネタから
もし県庁が岩槻にあったら、埼玉はどう違っていただろうとか
埼玉県庁がどこにあったら、埼玉県が独自性を出せただろうとか
埼玉県が東京の補完勢力ではなく県の存在感を示すには、県庁を例えばここに置くとどうだろうとか
ぐっと話題の方向性が広がる傾向があります。
さいたま市という県内最大合併の話題
(埼玉維新に上尾市議が誕生していなかったかも)
その浦和、大宮、与野が(後に岩槻)合併して誕生した政令指定都市さいたま市は、県史上最大の合併で、特殊な例でもあります。
合併といえば、私が地域情報発信の現場(ケーブルテレビやラジオ)で仕事上関わったのが
平成の大合併。
後に議員になって、合併特例債についてアレコレ質疑するとは知る由もなく
取材して、情報発信していました。
さいたま市誕生への合併は、その遥か前の1980年、
浦和、大宮、与野、上尾、伊奈の5市町からなる「埼玉中枢都市圏構想」の策定に始まるそうです。
与野(Y)大宮(O)浦和(U)上尾(A)伊奈(I)の頭文字から
「さいたまYOU And Iプラン」と銘打って政令市を目指した計画です。
頭文字Dよりすごいネーミングですね。
当時の国による大都市構想計画も追い風となり
かなり議論は進んだそうですが
やはりここでも、政治的思惑が様々な紛糾を呼び
わりと早い段階で、上尾と伊奈が離脱しています。
上尾が離脱した背景には諸説あり
伊奈は上尾が撤退する以上、飛び地になってしまうので離脱やむなし。
「And I」のなくなった「YOU」で合併となり、2001年政令指定都市さいたま市が誕生。
その21年も前から、こうした都市圏構想を進めていたのは、すごいと思います。
この時の上尾の政治的判断がどうであったのか、それは上尾市議に譲りますが
そもそも、YOU And Iが実現していたら、埼玉維新に上尾市議は誕生していないのですね。
そして、このYOU。
さいたま新都心にある埼玉県男女共同参画推進センターの愛称が「With You さいたま」なのも
やはり名残なのでしょうか。
埼玉県のネーミングについては、これまた気になる事例がたくさんありますので
これも話題に事欠きません。
「流氷ドラフト」
マンボウがあけて最初に飲んだのでイメージ画像。
流氷を仕込み水に使ってるそう。青い。
そんなこんな話をしたお見合い。
維新の議員ってとこが難しいということで双方合意済。
時は、マンボウ。
酒類の提供は禁止の中、昼食に行き
鰻のお店で、うな重じゃなくフルコースみたいなのをご馳走になり
カフェに移動して、映えそうなスイーツを3種注文され
醤油の蔵元がやってる丼やうどんのお店にふらっと入って、醤油を使った和スイーツを2種注文され
コーヒーを飲みにと喫茶店に入って、人気メニューのワンツー、ナポリタンとオムライスを注文され
私には第3位のチキンピラフを超絶おすすめしてくださり
買い物して晩飯食って帰ろうよ。なんか欲しいものある?
と聞かれたので
特段欲しいものはありませんし、今日の夕飯というか、明日の夕飯まで何も入らないくらいお腹がいっぱいなので
今日はありがとうございました、と帰路につきました。
後日、理由が
「ものもねだってこないし、ボディタッチとか絶対ないオーラ出しててノリが悪い」
だったとお聞きしました。
ノリ?
あ。確かに。
浦和と大宮の不毛な戦いの話と同じくらいのボリュームで
キャバクラでの武勇伝を語っておられた際
そういうワード出てきてましたね。
と、言ったところで、それこそ不毛なので
お眼鏡に叶わずすみません~と、笑って流しておきました。
なるべくさらりと書くよう努めましたが
どことなくさらっとしてないですね。
この手のネタでドリンクバー3時間コースしゃべり尽くせる方。
ぜひご連絡下さい。
坂井えつこメールフォーム
https://sakaietsuko.net/mail/