大学を卒業する直前、阪神・淡路大震災に遭いました。
実家は全壊、祖母が亡くなりました。
当時、処分される犬猫を引き受ける活動をしていたので、犬7頭・猫13匹がいて、ボランティア団体に助けていただきました。
そんな混乱の中、就職した先は女子高。
幼児教育の専門家だった母の影響で志した念願の教諭生活でしたが、教育現場でのギャップは衝撃でもあり、仕事や生き方について考える大きなきっかけになりました。
その後、地域情報メディアに転職し、各地方に移り住みました。
あちこちを飛び回り、取材であればアメリカにまで行ってしまう私が、地に足をつけて自分の会社をつくろうとしたとき、選んだのが暮らしやすい飯能でした。
緑町で女性だけのフィットネスなど、健康事業を運営しながら結婚し(その後、離婚しました)、妊娠出産して、子育てに会社経営にひた走り、お店が10周年を迎えられた理由は「私が飯能を選択したから」に尽きると考えています。
どの街に住み、どんな暮らしをして、どう子育てをしてゆくか。すべて選択です。ご本人やご家族の意思が尊重されて、そのつど選択できること。
選択肢が多い街は、暮らしやすさにつながると思うのです。
飯能を選んで住む人が増える。飯能の市政に、女性や移住してくる方、子育て世代の視点が加わることは、必ず市の発展につながります。
これからは自ら政治も学んで参加する時代。
一緒に考え、選択肢を増やしてゆきましょう。
みなさまの叱咤激励をどうぞよろしくお願いいたします。